人は見た目が100%は当たり前
肌荒れ!Σ( ̄。 ̄ノ)ノ
不慣れな環境にいたからか、一カ月ほど休みなしだからか、普段ストレスレスな人間なのですが、珍しくストレスを感じることが続いてニキビがポツポツ。
心と体はつながってることを改めて実感させられます。
実体験するもの全てが学び☆ありがたい。
とはいえ、さすがに色々と他にもガタが出ちゃったので1日お休みすることにしました。
家から一歩も出ず、なにが入っているのかわからない、自動録画されているドラマを見ながら、なーんにも考えない。
「人は見た目が100%」というタイトルのドラマ、笑いどころ満載でおもしろい☆
ヘア、メイク、ファッション…女の子にはお楽しみがいっぱい。
ヒト科の女子モドキ
主人公は、ファッションや美容に興味も縁もない、ヒト科の女子モドキのリケジョたち。
そんな彼女たちが、「見た目」を気にかけなければいけない生活をしなきゃならなくなってのテンヤワンヤ。
その合間にあるツッコミがなんともおかしい。
ファッションやメイクを解説してくれるところは勉強になるし、意外性のある反応やコメントに思わず吹き出しちゃう。
ドラマの中で、「〇〇ちゃんのそのスカート可愛い〜♡」とか、「そのリップの色かわい〜♡」といった会話についていけず、気づけばいつも一人で寂しかったと回想するヒト科の女子モドキを桐谷美玲が演じてる。
でもそういった会話で盛り上がる女子は、私の周りにはいなかった。
それ似合ってるね!とか、それいいね!なんて褒めることはあっても、その話題で盛り上がるまでいかない。
ファッション誌を読んでる子はいたけど、なにが楽しいのかわからなかった。
。。。あれ?
もしかして私、ヒト科の女子モドキ?!
一番古いファッションの記憶
あれはたぶん3歳くらいの頃。
朝起きると、「今日のお洋服は出してあるから自分で着てみてね」と母に言われた日のこと。
初めて一人で着替えができたのが嬉しかったので、着替え終わって母のところへ行くと、ため息とともに「服は着ればいいってものじゃないのよ」。
服には「着方(きかた)」というものがあると、襟をなおされ、袖をまくられ…
褒めて欲しかったわけじゃないけど、服なんて着れればいいじゃないかとその時は思った記憶。
でもま…母は正しいんです。
服は「自分をよりよく見せる」ため、「自分をどう見せるか」のツールですから。
随分若い頃に洗礼を受けましたが(笑)。
でも美容院に行っても、ヘアメイクさんがいるようなときでも「なんでもいいです」ってヘアメイクはお任せな無精者。
よくよく考えたら、女の子らしいことに不器用。
折り紙とか、あやとりとか、ビーズ細工とか、ラッピングとか、髪を編んだりアレンジしたりするのがニガテ。
パーマをかけているか、巻いていると思われる天然パーマのおかげで、髪は洗って乾かすだけ。
メイクはそこそこ。
ファッションも頑張らない。
見た目に頑張ってる感が見えるのがちょっとニガテ…
ドラマの中ほどじゃないけど、これは女子モドキかもしれない。
でもファッションについてこんな記事を書いてたの思い出しました。
見た目だけじゃなく、自分にも他人に対しても服には色んな力がありますよね。
人は見た目が100%は当たり前
人間は、ほとんどの情報を視覚で処理しています。
そう考えると、人の見た目だけが別だなんてことはないのかも。
顔や体型は生まれ持った「見た目」。
ファッションやメイクはその見た目をより良く見せたり、どう見せたいかという表現だったり、変身したりするためのツール。
でも「人の見た目」はそれだけじゃない。
所作や言動にはその人の意識(中身)が表れる。
姿勢、歩き方、座り方、立ち方だって目に見える。
表情だって目に見える。
人への対応、物の扱い方、ちょっとした指の動かし方にまでそれらを見ることができる。
目に見えるものは、全てが「見た目」。
見た目というとつい外側ばかりを意識しがち。
でもどんなに容姿が優れていても、「見た目」にはその人の考え方、意識、生活などが見えるもの。
他人や物や環境に対してどう接しているか、自分自身のことをどう思っているか。
それら全てが「見た目」に表れる。
人の見た目。
それは「一番外側にあるあなたの内面」です。
だから、人は見た目が100%。
それか「人は見た目に100%」、でもいいかもしれない。