花々の記憶(朝にふと思ったこと)
藤の花の季節です。
藤というと藤のかんざしが頭に浮かぶ。
シャラシャラ鳴る藤のかんざし。
”デーモンの花嫁”ってマンガに出てきたのを見て素敵♡と思った小学生の頃。
梅の香り。
梅の香りはほんのりで、あまり気にかけていなかった。
その香りに気づいて、郷愁のようなものを感じた数年前。
ん〜…なんの記憶だろう。
と、思い出したのは幼稚園。
幼稚園の広い敷地の横は、梅の木が何十本と植えられた梅農家?
梅の季節はその香りの中で過ごしていたんだ。
懐かしい気がするのはそれでした。
沈丁花の香りも好きです。
梅と違って強いけど。
この香り知ってるけど、なんだろう〜…と、昔住んでいた家のお隣の垣根が全部沈丁花だったことを思い出せました。
日本に帰ってきてから、花束でもらう花の香り以外の花々の香りに色々と気づきます。
金木犀は子どもの頃から気づいてたけど。
あれは香りだけでなく、見た目にもインパクトがあるw
そういえば、学校帰りによく花束を買って帰る子でした。
母に。
花の鉢植えは自分に。
その頃ミルフィーユが好きだったので、ミルフィーユのホール…とは言わないのかな、お土産にミルフィーユを一本買って帰ったり、ケーキを買って帰ったり。
「えー?そんなことする子いるの?やらないよ〜」と周りに言われて考える。
…確かに今そんな子がいたら変わってるなと思う(笑)。
もしかしたら突拍子もないことをたくさんしていたのかもしれない。
藤のかんざしと同じように素敵*・゜゚・*:.。..。.:*・'(*゚▽゚*)'・*:.。. .。.:*・゜゚・*と思ったガラスの靴。
透き通ったものが好きだった。
本物のガラスの靴を初めて見たのは小学生の頃。
1人で鎌倉に行ったとき。
駅前のガラス工芸のお店のショーウィンドウに飾られた実寸大のガラスの靴を見つけて、「わ〜ガラスの靴だ〜|人(´∀`=)」と喜びながら、履いたら割れるなーって思った(笑)。
なにをしに鎌倉へ行ったんだろう。
駅を出て、ガラスの靴をみつけて、そして帰ったような…
江ノ電に乗りたかったのかな。
小さな冒険のつもりだったのかもしれない。
探検や冒険が好きだったから。
やっぱり突拍子ない(笑)
他にも思い出すと花々にまつわる記憶が色々と出てくる。
小さい頃、華道で使うハサミが使いづらかったとか、力がなくてお正月の松の木とか剣山に刺さらず大変だったとか。
バラには特に思い出が多い。
…結構キリなく出てきますね。
花をキッカケに色んなことを思い出しました。
幼少期の自分を振り返ると、そこに自分の本質が見えたりします。
自分ってどんな人間だっけ?
子どもの頃の自分や、子どもの頃に好きだったものを思い出してみると、ルーツが見えてくるものですねぇ+°o*。.'
理想の自分をかなえるヨガトリート〜動く瞑想〜
人は見た目が100%は当たり前
肌荒れ!Σ( ̄。 ̄ノ)ノ
不慣れな環境にいたからか、一カ月ほど休みなしだからか、普段ストレスレスな人間なのですが、珍しくストレスを感じることが続いてニキビがポツポツ。
心と体はつながってることを改めて実感させられます。
実体験するもの全てが学び☆ありがたい。
とはいえ、さすがに色々と他にもガタが出ちゃったので1日お休みすることにしました。
家から一歩も出ず、なにが入っているのかわからない、自動録画されているドラマを見ながら、なーんにも考えない。
「人は見た目が100%」というタイトルのドラマ、笑いどころ満載でおもしろい☆
ヘア、メイク、ファッション…女の子にはお楽しみがいっぱい。
ヒト科の女子モドキ
主人公は、ファッションや美容に興味も縁もない、ヒト科の女子モドキのリケジョたち。
そんな彼女たちが、「見た目」を気にかけなければいけない生活をしなきゃならなくなってのテンヤワンヤ。
その合間にあるツッコミがなんともおかしい。
ファッションやメイクを解説してくれるところは勉強になるし、意外性のある反応やコメントに思わず吹き出しちゃう。
ドラマの中で、「〇〇ちゃんのそのスカート可愛い〜♡」とか、「そのリップの色かわい〜♡」といった会話についていけず、気づけばいつも一人で寂しかったと回想するヒト科の女子モドキを桐谷美玲が演じてる。
でもそういった会話で盛り上がる女子は、私の周りにはいなかった。
それ似合ってるね!とか、それいいね!なんて褒めることはあっても、その話題で盛り上がるまでいかない。
ファッション誌を読んでる子はいたけど、なにが楽しいのかわからなかった。
。。。あれ?
もしかして私、ヒト科の女子モドキ?!
一番古いファッションの記憶
あれはたぶん3歳くらいの頃。
朝起きると、「今日のお洋服は出してあるから自分で着てみてね」と母に言われた日のこと。
初めて一人で着替えができたのが嬉しかったので、着替え終わって母のところへ行くと、ため息とともに「服は着ればいいってものじゃないのよ」。
服には「着方(きかた)」というものがあると、襟をなおされ、袖をまくられ…
褒めて欲しかったわけじゃないけど、服なんて着れればいいじゃないかとその時は思った記憶。
でもま…母は正しいんです。
服は「自分をよりよく見せる」ため、「自分をどう見せるか」のツールですから。
随分若い頃に洗礼を受けましたが(笑)。
でも美容院に行っても、ヘアメイクさんがいるようなときでも「なんでもいいです」ってヘアメイクはお任せな無精者。
よくよく考えたら、女の子らしいことに不器用。
折り紙とか、あやとりとか、ビーズ細工とか、ラッピングとか、髪を編んだりアレンジしたりするのがニガテ。
パーマをかけているか、巻いていると思われる天然パーマのおかげで、髪は洗って乾かすだけ。
メイクはそこそこ。
ファッションも頑張らない。
見た目に頑張ってる感が見えるのがちょっとニガテ…
ドラマの中ほどじゃないけど、これは女子モドキかもしれない。
でもファッションについてこんな記事を書いてたの思い出しました。
見た目だけじゃなく、自分にも他人に対しても服には色んな力がありますよね。
人は見た目が100%は当たり前
人間は、ほとんどの情報を視覚で処理しています。
そう考えると、人の見た目だけが別だなんてことはないのかも。
顔や体型は生まれ持った「見た目」。
ファッションやメイクはその見た目をより良く見せたり、どう見せたいかという表現だったり、変身したりするためのツール。
でも「人の見た目」はそれだけじゃない。
所作や言動にはその人の意識(中身)が表れる。
姿勢、歩き方、座り方、立ち方だって目に見える。
表情だって目に見える。
人への対応、物の扱い方、ちょっとした指の動かし方にまでそれらを見ることができる。
目に見えるものは、全てが「見た目」。
見た目というとつい外側ばかりを意識しがち。
でもどんなに容姿が優れていても、「見た目」にはその人の考え方、意識、生活などが見えるもの。
他人や物や環境に対してどう接しているか、自分自身のことをどう思っているか。
それら全てが「見た目」に表れる。
人の見た目。
それは「一番外側にあるあなたの内面」です。
だから、人は見た目が100%。
それか「人は見た目に100%」、でもいいかもしれない。
誰といるかが大切
変な春☆
そんなことないのかな。
寒の戻りが多い気がするんだけど。
ピンと張った空気が好きな私には寒の戻りはなんのその。
でも桜にしてみれば咲こうか咲くまいか迷うかも。
今年どこよりも早く開花した東京の桜。
それからずいぶん経つのに、桜をちゃんと見たのは今年は昨日が初めて。
昨夜が最終日だった目黒川のライトアップにギリギリ間に合った。
日曜日に桜を見に行く約束をしていたのにお天気が悪かったから、翌日仕事帰りに待ち合わせて夜桜を見に行くことに。
見れてよかった。
一緒に見てくれてありがとう。
そう言う友人に、「こちらこそ」と返す。
いつまた桜が見れるかわからない、もうすぐ日本を出る友人。
感性や感覚が近い友人たちは世界をウロつく人が多い気がする。
映画、アート、食事…。
誰と観るか、誰と食べるかで違うと言った人がいた。
そうかもしれない。
もうすぐインド仲間が一人帰国してくるので、久しぶりに集まろうと日本各地にいる他の仲間とのラインのやりとりが朝から活発な今日。
どんなに離れてても、繋がってる人とは繋がり続けるし、近くにいても合わない人とは縁がなくなる。
嫌いな人っている?と昔からよく聞かれるけど、むりやり嫌な人といることはないし、そんなことしてたら自分の気が悪くなってイヤなもの引き寄せそう。
仲良くなるかならないかといわれたら、ならない人はいるだろうけど。
友人に、「退屈な人といたことない?時間が長いな〜って思う人」と聞かれた今日。
誰かに「楽しませてもらいたい、楽しませてもらおう」と思ってないんだと気づかされた。
誰かに「楽しませてほしい」じゃなく、自分が楽しくいればいいし、楽しくすればいい。
もちろん楽しい人は大歓迎だけど。
嫌な人とはそもそも縁はないんじゃないかな。
自然と離れるというか、離れるのが自然というか。
誰といるかは大切だけど、自分がどうしたいかを大事にしたい。
楽しくいたいから、一緒にいる人も楽しんでる方がいい。
写真がボケボケだけど、とりあえず昨夜は満開の桜にハッピーでした♪(*^^)o∀*∀o(^^*)♪
水の季節を感じる朝(朝にふと思ったこと)
春眠暁を覚えず。
春って感じのお天気の今日。
自分で作ったお弁当に、朝からハッピー♪
な気分だった昨日の朝。
今日もお弁当を作ろう♪…と思ったら、ランチの約束があったんだ☆
ということで、今日はお弁当はナシ。
でも3日坊主は超えてる。
人間好きなことは続けられる♪
今日みたいなお天気だと、朝はぼや〜んとしていたい。
アーユルヴェーダでは春は「カパ」という水や地の質を持つ季節。
生命が芽吹く季節だけど、この「カパ」が増えすぎると体や気分が重くなったり、鼻水や喘息が出やすかったりする。
健康系の番組なんかだと、春は自律神経が乱れやすい季節・・・なんて情報が流れてくるけど、いまや季節関係なく自律神経が乱れやすい時代。
本当に大事なんだけど軽視されがちな気がしてしかたない。
自律神経は私たちの生命維持装置なのに。
色々な症状に向けた対処法がいっぱい出回ってるなーって思う。
なにがいいかわからないって聞かれることも多い。
元気もきれいも健康も、「この内臓が」とか「この筋肉を」じゃなくて全体のバランスが大事。
健康でいれば、季節の変わり目に体調も気分も左右されることもあんまりない。
春だからって特に眠くもない。
今日みたいに水を感じる生暖かい気候に、「なんとなくもうすこしゴロゴロしてたい気分~」になるくらい。
季節を感じてるというか。
体調や気持ちの不調は症状ごとに対処するんじゃなくて、バランス良くいつも健康でいることが大事だと思ってる。
あなたはどう思います?
朝から思う「人生いろいろ」(朝にふと思ったことシリーズ)
「あ〜あ。」
今朝、前を歩いていたオジサマの横を通り過ぎるときに聞こえてきた声。
あまり気になることもなく横を通り過ぎると、すぐ目に入ったのは背の高いきれいなお顔をした白人男性二人が歩いてくる姿。
その手は仲良くつながれている。
恋人なのね。
と思ったのと、オジサマの声はコレか☆
と同時に思った。
違うかもしれないけど。
世の中にはいろんな人がいる。
いろんな価値観がある。
生き方だって色々ある。
結構いろんな人種…珍種?(笑)に出会えてきたけど、まだまだたくさん出会ってない価値観や生き方をしてる人がいるだろうな〜。
自分と合わないからと拒絶したり排除したりするより、おもしろいと思ってしまう性格。
先天的なのか後天的なものなのか、色々ありすぎてもはやわからない(笑)。
買ったお弁当に入っているお野菜は栄養がない?(朝にふと思ったことシリーズ)
お弁当を買う時に、気をつけてなるべくお野菜の多いのを選ぶ。
そんな意識が素敵と思う。
でもそんな意識を持つ人にクラスや講義や外で食の話をするとき、結構知られてなくて驚かれてしまうことがある。
それは大量生産されるお弁当やお惣菜、全部が全部じゃないけれど、ビタミンもミネラルも抜けたお野菜が使われてるということ☆
大量生産されるお弁当は、保存しやすいという理由で水煮野菜が材料として使われることが多い。
筍とか山菜の水煮のように、スーパーとかで売ってる水に浸かって売られた水煮野菜。
でもビタミンやミネラルって水に溶け出しちゃうもの。
彩きれいなお野菜の入ったお弁当や、お惣菜を選んだからって栄養素はなにもない☆なんてことよくあったりする。
新鮮で生命力あるお野菜が食べたい☆
というわけで、昨日に引き続きお弁当♪
昨日の量じゃ足りなかったので、欲張って品数増やしたら入らないww
今日はソフトバンクでもらったお弁当箱。
大きさは昨日のお弁当箱の倍くらい。
マイ箸を刀風に置いてみたら可愛い♪
カイくん好きなんだよね( 艸`*)
明日もお弁当作れるかな〜。
新年度にのっかって(朝にふと思ったことシリーズ)
結局好きなんだな〜。
と思いながら朝やっていたのはお弁当作り。
久しぶりに作りながら、楽しんでる自分がいる。
朝からシャツにアイロンをかけるのも久しぶり(夜にやれw)。
なんだかんだ家事は嫌いじゃないんだよね〜とか思いつつ、たまにやるからいいんだろうけど(笑)。
お弁当はいいなと改めて思うのです。
外食だと塩分や脂質が高いことが多い。
大食いだから出されたものは全部食べちゃうわたしのような人間には、バランスを考えたメニューにできるし、量も調整できる。
銀行からもらったお弁当箱は、お箸が蓋の内側に入るからコンパクトでいい。色も可愛い。
せっかくなので使ってみたけど、名前がもう少し目立たない場所にあったら嬉しかったかな〜(笑)
新年度。
暦とあまり関係ない暮らしをしてるけど、ちょうど今日は新年度の週初め。
ランチはしばらくお弁当にしよう♪(いつまで続くかわからないけど)。
なにか新しく始めようと思うことありますか?